5年前の今日、2016年3月26日は北海道・東北新幹線が開業した日だそうです。
新青森駅と新函館駅間を初めて新幹線が走りました。
そこで思い出したのは、小学校の時の修学旅行。
青森市で育った私が、初めて北海道に行ったときの話をします。
コロナ禍でなかなか遠出しにくくはありますが、落ち着いたら小旅行に行きたいですね。
今は思い出の中の旅行にひたって楽しんでおきます。
小学校の修学旅行で人生初の北海道旅行
人生で初めての、電車での旅
小学校の修学旅行で、電車に乗って北海道に向かいました。
たぶん特急列車、おそらく人生初です。
特に鉄道好きでもなかったので、実は普通電車と特急列車の区別すらついていませんでした。
修学旅行という状況に浮かれているだけで、周りがほとんど見えていなかった小学生の私。
なんとなーく先生に先導され、電車に乗っただけでワクワク。
電車で遠出するのは、おそらくその時が初めての経験。
車やバス、自転車・徒歩での移動がメインの田舎の小学生にとって、電車はなじみのない乗り物。
駅から電車に乗るというだけで、非日常感たっぷりでした。
普段は電車なんて使わないし、
ボックス席の車両にただ単にはしゃいでいた記憶しかありません。
私が通っていた小学校はとても小規模な学校でした。
1学年に15名いれば多いほう。
1つ上の学年が5人しかおらず、2学年が1つの教室で過ごす「複式学級」というスタイルでした。
授業は、それぞれの学年が1人の先生から受けます。
先生、いそがしかっただろうなあ。
修学旅行は、2学年合同で行ったのか、
さすがに1学年で行ったのか、
今となってはハッキリ思い出せません……
30年近く前のことなので、細かいところは忘れています。
青函トンネルで一番記憶に残っているのは「暗い!」
さて、電車の旅で一番覚えている記憶が「暗い!」ということ。
どういうことかというと、理由は津軽海峡の地下を通る青函トンネル。
青函トンネルとは、青森・北海道間を電車で移動するときに通る海底トンネルです。
以下Wikipediaより一部抜粋・要約
- 長さが53.85kmあり、2010年までは世界一長いトンネルだった
- 青函連絡船「洞爺丸」の事故により建設計画が本格化
- 全工程においての殉職者は34名
こういう知識があれば、もう少し違う見え方になったのかもしれませんが、そこは小学生。
「暗くて何にも見えないし、飽きた~」となってしまったのです。
吉岡海底駅や竜飛海底駅に降りられれば違ったのだと思いますが、
時間の都合か降りることもなく、ひたすら暗い中を進みます。
なので、初の北海道旅行の記憶が「トンネル長くて暗かった」からスタートしています。
逆に言うと、それだけトンネルのインパクトが強かったということでしょう。
洞爺湖や昭和新山 バスガイドさんの解説で一気に楽しくなった
当時、青森市内の小学校では、修学旅行の定番の1つが北海道。
主に函館方面。
青森からそこそこ近いし、ちょうどいい距離感だよねと今でも思います。
私が北海道に行ったときは、2泊3日。
うろ覚えですが、ざっくりした旅程はこんな感じ。
- 1日目 洞爺湖(とうやこ)周辺の温泉に宿泊 有珠山(うすざん)周辺を眺めつつ昭和新山を見学
- 2日目 函館に移動 トラピスチヌ修道院を見学、巨大迷路、ジンギスカン!
- 3日目 ロープウェイで函館山に上り、お土産を買って帰路につく
大人になってわかる、旅程の充実っぷり。
団体旅行ならではの、あちこち連れて行ってもらえるありがたさ。
そして、大人になればなるほどわかる、温泉の魅力。
あの時は友達の目を気にして、お風呂を堪能した記憶がありません。
もったいないことしたなあ。
もう人目なんて気にする年齢でもなくなってきたし、いつか洞爺湖の温泉にじっくり入って温まりたいものです。
そういえば、洞爺湖について宿泊した旅館のおかみさんが教えてくれました。
火山と温泉の関係を知り、そこで暮らす人の思いを知ったんだっけ。
小学生相手にも、子ども扱いせず、真摯に語りかけてくれました。
火山の恩恵と脅威(=温泉・観光・噴火の可能性とダメージ)を受け入れている静かな心持ちに、子供ながら尊敬を抱いたような記憶があります。
そうそう、2000年の有珠山噴火。
テレビのニュースで地元の人が事前避難したことを知り、
「あ、ここ修学旅行で行ったところだ」と気がついて、驚いた記憶があります。
1度でもその場所を訪れると、なんだか身近に感じるものですよね。
多少なりとも自分に関係している場所、ということで。
ちなみに小学生だった私はというと、
当時はこの旅程の魅力がよくわかっておらず、ぼやーっとしてました。
なんで山に来るの?みたいな感じです。
有珠山も昭和新山も、できた経緯を知るとわかる、魅力満載の活火山。
いきなりモコモコ地面が盛り上がって、数日で山ができるとか、そんなのアリ?という歴史の魅力。
山のことなど当時は興味を持っていなかったのですが、
バスガイドさんの話のおかげで「なんだかおもしろい山に来たらしい」と理解し始めると、一気に楽しくなりました。
地学と歴史と文化を、一度に実地で学べたのです。
バスガイドさんがとても明るくておもしろい女性。
小学生にもわかりやすく山の魅力を解説をしてくれたり、
注意力散漫・引っ込み思案・反応薄いと三拍子そろった田舎の小学生相手にも、わかりやすく楽しい話をたくさんしてくれたのでした。
そんなバスガイドさんのとりこになった私は、
勇気を振り絞って「ガイドさん!一緒に写真撮ってください!」と告白。
ええ、あれは告白でした。
話しかけていいのかな?
写真撮っていいのかな?
と、しばらくモジモジしてました。
心境はまさしく「清水ダイビ~ング!(きよみずの舞台から飛び降りる)」
ガイドさんは快くOKしてくれて、
当時流行っていた使い捨てカメラ「写ルンです」で、一緒に写真をパシャリ。
撮影をしたとき、一大イベントを成し遂げたような気分になったものでした。
函館からの帰りはフェリーで船酔いに苦しむ
行きは特急列車、帰りはフェリーでした。
初のフェリー乗船。
初体験の乗り物に、小学生はそれだけでワクワク。
ところが、楽しみにしていた気持ちとは裏腹に、なんだかよくわからないけど気持ち悪~い感じに襲われました。
船酔いです。
バス酔いは事前に酔い止めを飲んでいたので平気だったのですが、
船酔いは体験するまで「あ、これが船酔い」とわからない状態。
薬は念のため飲んでおいたような気がするけれど、なんだかぱっとせず。
船の甲板で潮風にあたり、青空と波を見て気分を紛らわせました。
外の景色が見られる分、体調はパッとしなくても楽しさは感じられます。
そのうち気分も体調も回復し、無事に家に帰りついたのでした。
修学旅行 大人になってから振り返ると贅沢な旅
大人になった今、かつての旅行を振り返ると、なんて贅沢な旅だったんだろうと思います。
その場に身を置いたり、移動したりということがしにくいコロナ禍の今では、余計に贅沢な時間だったなと思います。
Web上でたいがいのことが済ませられる今、
移動や現地で身をもって感じられる体感こそが旅の醍醐味だなと再認識。
教えてくれる誰かのおかげで土地の魅力を知り、自分がいかに素敵な場所にいるのか理解できると、その旅行の時間がさらに素敵なものになります。
コロナがおちついたら、どこかに行きたいですね。
へばの~
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